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桜 

桜、満開。

嬉しいね!!
でも、咲いてしまったら後は散り行くもの。


薄ない命だからこそ、美しく見えるのかな。



受験で古典を勉強してた妹から聞いたんだけど、
桜はすぐ散ってしまうから価値があるとされてきたらしいです。


日本文化って、
やっばりなんか好きだな。
季節や恋心を詩で詠んできた昔の人たちって、
すごくすごく素敵だなぁと思う。







誰も命

無駄にしないように

君は命に

終わり作ったよ





最近、大好きでたまらない

RADWIMPSの『有心論』の歌詞。




恋人の失われた命?心?を歌った歌なんじゃないかとあたしは解釈したのだけれど。

このフレーズが、ずしーんときました。



大切な人の命を失ってしまった人は、

命の重みを一番感じている人なんじゃないかと思う。


あたしは、

幸い、まだ。



命は大切だと、いくら言葉で言っても、

伝わらないし、

やっぱり経験しないとわからないものなんじゃないかと思う。



でも、

そんな辛くて苦しい体験なんてしないほうがいいに決まってる。


結果的によかったって思える日がいつかきたとしても、

それは結果でしかないのだから。



でも。

失ってから、失いそうになってからしか、
人は大切なものに気付くことができないのかな。

とも、思う。



悲しいね。

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最後は自分を信じて! 

こんばんは、澪です。

関東地方、最近寒いですね。
暖冬とはいえ、寒いものは寒い。。


お腹が冷えてしまったらしく、今月の月経痛がものすごくひどいです。


もともと月経困難症のあたしは、産婦人科の薬がないと起き上がれないほどひどいのですが、

今日は薬飲んでもだめでした・・・


極力学校休みたくなかったんだけど、今日は一日中ベットで寝てました。






明日はセンター試験ですね!


ニュースでもたくさん報道してました。

そしてリアルにあたしの妹も明日受けます。



懐かしいなぁ。。



あたしが受けたのは3年前。
まだリスニングが一斉放送でした。笑



センター受ける受験生、頑張ってください^^


と、人並みな応援ですが、自分の力が出し切れると良いですね。


妹にもお守りを渡しました。頑張ってほしいです☆





バイト先の塾であたしが受け持ってる中学生も、一発目の私立に無事合格しました。


本当に嬉しかったです。


嬉しそうに報告してくれる笑顔もかわいくって。
本命の県立まであとわずか。


あたしができることを精一杯してあげたいです。


どんなに応援しても、結局は頑張るのは本人。
周りの支えって目に見えないものだからこそ、見守るしかないんだよね。


この想いがどうか届いて、少しでも相手の力になったらいいな、と思います。

思いやり 

こんにちは、澪です。

昨日、関東地方は極寒でした。。
しかもあたしが乗り換えようとしてた電車が、強風のためダイヤが乱れていたせいで、なんとあの寒さの中あたしはホームで30分間棒立ちしていました。

棒立ちもいいとこです。

家を出た時は、新しいコート着てぬくぬくあったかくって、「ん、いい寒さ。身がひきしまる~」なんてのんきなことを考えていたのに。

もっと中に着込んでくればよかった・・・

問題集をもつ手も、10分を過ぎた頃にはもはや感覚がなくって。
勉強なんて不可能でした。

必死に熱産生しようと体はふるえまくっていて、もうなんだかかわいそうな人。笑


そんな感じで今年最後のバイトへ行き、
生徒への挨拶は「さようなら」じゃなくって「よいお年を」でした。




あたしのバイト先は塾なんですが、実は校長先生のお父様がお亡くなりになったため、人が足りない足りないで大変だったのです。

もともとぎりぎりの人数で回していたところに、一番持ち時間が長い校長が抜けるというのは、
それはものすごく大きな穴が空くということで。


あたしは個別だから持ち時間は変わらないのですが、
他の先生方はみんなその穴を埋めるためにかなりの時間授業をぶっつづけなくてはならなかったようです。


で、昨日の授業が全て終わった後、ある先生がこういったんです。

「俺、12時間連続授業だよ・・・まじ無理。予習でほとんど寝てないし。ほんと死にそう」


わかる、、んだけど。。

大変なのはわかるんだけど。。


あまり、気持ちよくないなぁ、と思ってしまいました。

持ち時間増えてないあたしが言うのも申し訳ないけど、
それは我慢してほしい一言。

家や、他で愚痴るのはいいとして、ここではそれは言っちゃだめでしょぉ、と。



自分に余裕がないと、人を思いやるのって難しいことですね。




思いやりといえば、
人が人を思いやる気持ちって、きっともともと備わっているものではないんだろうな、と思います。

性善説、性悪説、とまでは極端にはいかないんだけど、

人は、乳児期のアタッチメント(愛着形成)がうまくいかないと、その後の心理発達面に影響があると研究でも発表されています。

つまりは、アタッチメントがうまくいってないと、思いやりや正義感などという情緒の形成がうまくいかない。

そのことによって、自己抑制力や自己主張力の形成にも影響が出てくるということです。


逆に、
虐待などによって心理的外傷を受けたこどもに対しては、アタッチメント療法(愛着の意図的な再形成)が有効ともわかっているそうです。

このことからも、人間の情緒形成には乳児期のアタッチメントがいかに重要なものかわかると思います。

あたしも今書いていて、再確認しました。笑


何がいいたいかというと、結局のところ「人は人により人になる」ということなんだと思います。


思いやりの心も、いくら言葉で教えたって身につくものではないと思います。

思いやりの大切さがわかることと、実際に人を思いやれるのとでは違うし。

まずは、思いやりの心を育むのに必要な土台を作ってあげることが、必要なのかなって。


あたしは、その土台は心の余裕だと考えています。
そして心の余裕は、基本的には、自分が愛されている、認められているという潜在的な安心感があって生まれてくるものだと思います。

それってやっぱり「愛着形成」の上にある、自己肯定感だったり自己効力感、存在感だったりするんだと思うのです。


そして、その土台が出来たところに、相手の立場に立って考える想像力が加わって人を思いやれるのかなぁと思っています。


なんだか長くなってしまった。。



青少年の犯罪や、社会全体のモラル低下などの情緒に関する問題が山積しているのは、
きっと様々な問題が絡んでいるからだと思うのですが、

今までは自然と身についていたはずの「思いやりの心」が育まれていないことも、原因のひとつとしてあるのかなぁと感じます。


親も教師も、人の人格形成に大きく関わる立場・・・
難しいです。

今年を振り返って 

こんにちは、澪です。

一日遅れですが、
メリークリスマス!!



イヴは、ママンと新都心にショッピングに行きました。
病院実習や教育実習で着るパンツスーツを、プレゼントしてもらいました。
それに、コートまで・・・ママン、ありがとう。

ずっと着ます。



当たり前だけれど、イヴもクリスマスも働いてる人はたくさんいます。
ほんとに当たり前なのだけれど。

お店でコートの試着を勧めてくれたお姉さんも、駅でケーキを売るサンタのかっこしたお兄さんも、
この後誰かと待ち合わせしてるのかなぁ、、とか
どこかで恋人が待っているのかなぁ、、とか考えてしまいました。


ママンと歩いているときはそんな感じで幸せな気分だったのだけれど、
駅で別れてからは、急に寂しくなりました。

寒い冬のクリスマスの夜。

壁面やお庭を色とりどりの電飾で飾った家の横を通る時や、
手をつないで歩くカップルを追い越す時、
窓からあったかいオレンジ色の光が漏れるマンションの前を通る時、

なんであたしはひとりなんだろう、と
ひとりじゃないのに涙が溜まってきてしまったのです。

あと数時間すれば、彼が仕事を終えて帰ってくるというのに。笑


クリスマスは、誰かと一緒じゃないと切なくて切なくて過ごせないものですね。

自分だけひとりぼっちなんじゃないかと思ってしまう。


そして実際には
家に着いた数十分後には、美容師である友人が家に来てあたしの髪を切ってくれて、そんなことはもうすっかり忘れてました。

1時間後に彼も帰ってきて、3人でクリスマスパーティーをささやかにしました。笑





あ、、
今学校のパソコンから書いてるのですが、残念ながら図書館が閉館の時間みたいです。

今年一年を振り返ろうと思ったんだけどな。笑

続きは、あとで。

命 

小論文が進まない。。

お題は「心の教育」

思うところはいっぱいあるんだけど、盛り沢山すぎて逆に全くまとまらないし、
窮屈そうな升目に入った文字を読み返すと、
なんて薄っぺらいんだろうと思ってしまう。

受験にはコツという名前のテクニックも必要なわけで、
小論の書き方もいろいろ教えられたけど。。

そのテクニックにこだわると、形にばかり気を取られてどうも文体がおかしくなってしまうのね。

うーん。

いつのまにかスピーカーから流れるorange pekoeにばかり聴き入ってます。

リピート再生。。
コーヒーも3杯目です。

カップの底に乾いた色素が円になってる。



小論に、命についての記述を入れたいのだけれど。

命の大切さを教えるにはどうしたらいいだろう?

それも、養護教諭の専門性を生かすにはどうしたら。。

教育する側からの目線でばかり考えていても理想論しか出てこないから、
自分を振り返ることにしました。

そもそも教えられる程まだ人間ができていないのに、というのは今は置いておきますが。

命は大切で尊いものだと、あたしは何故か知っています。
いつそう教えてもらったんだろう?と考えても思い出せないのです。

なぜ命は大切なんだろう?
なぜ命は尊いの?

この問いにあたしはまだ答えられません。

理由なんてなく、大切にしなくちゃいけないって何故か心に刻まれていて。

思い付くのは
「かけがえのないものだから」
つまり、他に代えがきかないから。

「失ったら取り戻せないものだから」
つまり、リセットして始めからやり直すなんてことができないから。

、、、確かに理屈的には理由になるんだけれど。

あたし自身が、これじゃ納得できないんです。

そもそも「命」と限定して考えること自体、無意味に思えてしまう。

だっていくら言葉で「命はこれこれこういう理由で大切」って言われたって、果たして内面化するものだろうか。

苦しくて苦しくて死んでしまいたいと毎日考えてる時期が、高校生の時あたしもありました。

今はもう適応機制という防御反応によって、ほとんど覚えていないのだけれど、
あのときあたしはどんな気持ちだったのだろう。

自殺は何故いけないの?

ある人に言わせてみれば、そこまで苦しんでいるのを止めるほうが可哀相、死なせてあげたほうがいい。と。

あたしはそうは思えなくて。
それはあたしがあの時死ななくてよかったと思っているからなのかなぁ。

ひとつだけはっきり言えることがあります。

あたしは今の彼と出会って、自分の命は自分だけのものではないのだということを知りました。

彼のために、家族のために、長く生きよう、と。

自分がどんなにか愛されて頼られて生きているのか、知ったから。

こんな自分でも、誰かを支える存在だということに気付いたのです。

人は、誰かの役にたっているとき、誰かに必要とされているとき、
自分の存在意義を見出だせるというのはよく聞くけれど、

確かに、そうなのかもしれません。

誰からも必要とされていない自分なんて、そんなの無意味だと思ってしまうのは、当たり前。

世の中には、無用なものはたくさんあるけれど、
無用な命はないと思います。

そして、誰かに必要とされていることに、つまり自分の存在価値に気付けない人がたくさんいるんじゃないのかな。

特に、思春期の発達段階から考えると、そのころの子どもは「自分は誰にも理解されない」と感じることが多いのです。

(実際に、あたしもそうだったから、このことに関して学んだときは感動と恥ずかしさとで興奮してしまった気がします。。笑)

無条件に自分を受け入れてくれる他者、そして自分を必要としてくれる他者。

この2つに気付くことができた時、
自分の命に気付き、

他者も同じ存在で、他者も大切な命だと、気付くことができるのかな、と、今書いていて思いました。

いろいろな家庭の事情がある子、虐待を受けている子、いじめられっこ、いじめっこ。

気付くことが困難なこどもがたくさんいる。

教師は、その手伝いをする存在なのかな。。

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