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命 

小論文が進まない。。

お題は「心の教育」

思うところはいっぱいあるんだけど、盛り沢山すぎて逆に全くまとまらないし、
窮屈そうな升目に入った文字を読み返すと、
なんて薄っぺらいんだろうと思ってしまう。

受験にはコツという名前のテクニックも必要なわけで、
小論の書き方もいろいろ教えられたけど。。

そのテクニックにこだわると、形にばかり気を取られてどうも文体がおかしくなってしまうのね。

うーん。

いつのまにかスピーカーから流れるorange pekoeにばかり聴き入ってます。

リピート再生。。
コーヒーも3杯目です。

カップの底に乾いた色素が円になってる。



小論に、命についての記述を入れたいのだけれど。

命の大切さを教えるにはどうしたらいいだろう?

それも、養護教諭の専門性を生かすにはどうしたら。。

教育する側からの目線でばかり考えていても理想論しか出てこないから、
自分を振り返ることにしました。

そもそも教えられる程まだ人間ができていないのに、というのは今は置いておきますが。

命は大切で尊いものだと、あたしは何故か知っています。
いつそう教えてもらったんだろう?と考えても思い出せないのです。

なぜ命は大切なんだろう?
なぜ命は尊いの?

この問いにあたしはまだ答えられません。

理由なんてなく、大切にしなくちゃいけないって何故か心に刻まれていて。

思い付くのは
「かけがえのないものだから」
つまり、他に代えがきかないから。

「失ったら取り戻せないものだから」
つまり、リセットして始めからやり直すなんてことができないから。

、、、確かに理屈的には理由になるんだけれど。

あたし自身が、これじゃ納得できないんです。

そもそも「命」と限定して考えること自体、無意味に思えてしまう。

だっていくら言葉で「命はこれこれこういう理由で大切」って言われたって、果たして内面化するものだろうか。

苦しくて苦しくて死んでしまいたいと毎日考えてる時期が、高校生の時あたしもありました。

今はもう適応機制という防御反応によって、ほとんど覚えていないのだけれど、
あのときあたしはどんな気持ちだったのだろう。

自殺は何故いけないの?

ある人に言わせてみれば、そこまで苦しんでいるのを止めるほうが可哀相、死なせてあげたほうがいい。と。

あたしはそうは思えなくて。
それはあたしがあの時死ななくてよかったと思っているからなのかなぁ。

ひとつだけはっきり言えることがあります。

あたしは今の彼と出会って、自分の命は自分だけのものではないのだということを知りました。

彼のために、家族のために、長く生きよう、と。

自分がどんなにか愛されて頼られて生きているのか、知ったから。

こんな自分でも、誰かを支える存在だということに気付いたのです。

人は、誰かの役にたっているとき、誰かに必要とされているとき、
自分の存在意義を見出だせるというのはよく聞くけれど、

確かに、そうなのかもしれません。

誰からも必要とされていない自分なんて、そんなの無意味だと思ってしまうのは、当たり前。

世の中には、無用なものはたくさんあるけれど、
無用な命はないと思います。

そして、誰かに必要とされていることに、つまり自分の存在価値に気付けない人がたくさんいるんじゃないのかな。

特に、思春期の発達段階から考えると、そのころの子どもは「自分は誰にも理解されない」と感じることが多いのです。

(実際に、あたしもそうだったから、このことに関して学んだときは感動と恥ずかしさとで興奮してしまった気がします。。笑)

無条件に自分を受け入れてくれる他者、そして自分を必要としてくれる他者。

この2つに気付くことができた時、
自分の命に気付き、

他者も同じ存在で、他者も大切な命だと、気付くことができるのかな、と、今書いていて思いました。

いろいろな家庭の事情がある子、虐待を受けている子、いじめられっこ、いじめっこ。

気付くことが困難なこどもがたくさんいる。

教師は、その手伝いをする存在なのかな。。

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